ページの先頭です。 メニューへ メニューを飛ばして本文へ
桑折町観光ガイド > 桑折ことばむかしばなし検証 第4回「西根堰」

桑折ことばむかしばなし検証 第4回「西根堰」

印刷用ページを表示する 掲載日:2011年6月1日更新

桑折ことばむかしばなしを検証 第4回「西根堰」
「桑折ことばむかしばなし」259ページ(平成3年発行すでに絶版)

この辺は、摺上川と阿武隈川さ挟まっちゃどご(はさまれたところ)で、でかい川つったら産ヶ沢川、佐久間川、普蔵川ぐれがい。

ほんじゃがら、百姓すんのには、昔がら水不足で水のばやいこばり(うばいあいばかり)で、よぐけんかんなったんだない。

「水せえあればなあ。まっと(もっと)米とれんのになあ。」そういう声を聞いて育った佐藤新右ェ門は、役人になっと、藩の許可もらって摺上川の水、今の十綱橋の下がら引っぱって用水路こしゃった(つくった)んどない。元和四年((1618))のごどで三百町歩(300ヘクタール)もの田んぼ拓げだんだど。

奉行様が古川善兵衛になったどぎに、上の方さもう一本堰掘るごどにして寛永元年にはだったんだ(はじまった)どい。いや上堰は岩だらけない。今辿ってもわがるよ。隧(ずい)道(どう)も掘割もあって難所だよない。川の上を通すのに、箱の樋(とい)造って、木の櫓(やぐら)組んで渡すごど考えで、かたがり(・・・・)つって大した発明ない。

いろいろ工夫して寛永九年((1632))に七里半(やく30キロメートル)の大工事完成したんだどい。考えはだったって(はじまって)がら九年かがって古河善兵衛や佐藤新右衛門の努力はもちろんだげんとも、みんなで協力したその当時の人らの力も凄いよない。

今回、西根堰が土木構造の文化的価値が評価され土木学会選奨土木遺産に認定されました。我々取材班は、苦労して築きあげた先輩の足跡を辿りました。詳しくは町HPへ

11月の秋晴れの中我々チョロンケ隊は西根上堰の足跡を辿る取材を行いました。

今回は、伊達西根土地改良区事務局長の石川博利さんの御協力で取材することができました。

西根上堰のスタートでもある摺上川の取入口を見学。現在の取入口から400m下流に1625年に完成。コンクリートの水路に改修されていますが、当時の素掘の遺構が今でも見ることができます。

当時の取入口の写真

当時の取入口を見るには屈まなければいけない

400年前に掘られた素掘りの隧道の写真

400年前に掘られた素掘りの隧道

取入口から100m下流にはむかしばなしにも紹介されているかたがり(堅刈)の遺構があります。当時トンネルを掘る技術が低いため摺上川の左岸の崖の岩を削ってそこに木製の樋を掛けて通水。1847年に隧道ができるまで木製の樋は5,6年に一度交換しなければならず、掛け替えが大変だったそうです。

西根上堰の写真

今回もガサヤブをカキ進み

木製の樋を掛けた堅刈のあとの写真

崖のえぐれた部分に木製の樋を掛けた堅刈のあと

飯坂温泉の新十綱橋の下には鼻毛の隧道とよばれる場所があります。西根堰で唯一、開削当時の姿を見ることができます。

鼻毛の隧道の写真

現在残っている隧道は数メートルですが素掘りの苦労がうかがえる

飯坂温泉周辺になると堰は塞がれており、道路の下を流れています。堰の上に家が建てられている場所も

飯坂温泉周辺の写真

京都鴨川の川床を連想したのは筆者だけか?

飯坂の街を出ると明神の樋越があります。これは飯坂町を流れる米川の上を交差させるため、川の上に木製の樋を掛けて通水したそうで堅刈同様数年に一度樋の掛け替え必要で維持管理が大変だったそうです。現在はコンクリートの水路に改修されています。

米川の上を流れる西根堰の写真

米川の上を流れる西根堰

西根堰の下を流れる米川の写真

西根堰の下を流れる米川

桑折町を流れている堰については紙面の都合で省略させていただきます。一気に国見町から取材開始

西根堰の写真

国見町に入ると水路幅は1mに

観月台文化センター周辺の写真

観月台文化センター周辺は道路の下を流れる

義経腰掛松の脇の写真

義経腰掛松の脇を流れる 源義経の活躍した頃はまだ西根堰は流れていません

国見町大木戸のあたりになると水路の幅だけでなく管理用道路も狭くなり、車が通れなくなり、西根堰を見失うこともありました。

国見町大木戸の写真

国見町大木戸 管理用道路がない

地元のお母さんに西根堰を訪ねるの写真

地元のお母さんに西根堰を訪ねる

道に迷いながらも地元の親切なお母さんの案内で国見町東大枝の雷神山の隧道にたどり着きました。
雷神山の裾野を流れる西根堰は開削当時水漏れが激しく下流に水が届かない事がありました。1900年に雷神山の下を素掘りで掘り抜いたそうです。

素掘りの隧道の写真

素掘りの隧道が当時の苦心が色濃く残る

西根堰の看板の写真

地元のお母さんにもう一つの隧道、万部の洞門も案内してもらいました。この洞門は開削当時1632年に掘られ現在も当時もまま利用されています。

万部の洞門の写真

洞門の入口は地元産の国見石が積まれる

洞門を抜けると梁川町五十沢に入ります。水路幅は細くなりますが、上流に比べ勾配があるらしく水の流れは早くなっています。

五十沢の写真

五十沢に入ると柿がたわわに実る

水路幅は又げるほどの幅に

水路幅は又げるほどの幅に

国道349号線の脇の写真

国道349号線の脇を流れ

国道の歩道の下を流れる

国道の歩道の下を流れる

五十沢小学校の写真

五十沢小学校の下を流れ

五十沢郵便局を過ぎたところの写真

五十沢郵便局を過ぎたところで西根堰は終わる

堰の終点の写真

堰の終点から流れる207番目の水路

水路は別の川に合流

水路は別の川に合流

阿武隈川の写真

30キロを経て阿武隈川にそそがれる

取材を終えて

私が子どもの頃からの疑問で睦合小学校の前を流れる西根堰は最後にどこへ行くのか?の答えが30年を経て解決しました。

400年にわたり信達平野を潤してきた西根堰の偉大さを改めて確認することができました。

今回の取材に協力いただいた伊達西根堰土地改良区の石川さん、堰の案内をしていただいた東大枝のお母さん、五十沢の豆腐店の息子さん、本当にありがとうございました。