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桑折町町制施行60周年記念式典

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年1月31日更新

桑折町町制施行60周年記念式典

 本日ここに、桑折町町制施行六十周年記念式典を挙行いたしましたところ、福島県知事 内堀雅雄 様、衆議院議員 亀岡偉民 様をはじめ、多数の御来賓の皆様におかれましては、公私共に何かと御多忙のところ、御臨席を賜り、衷心より厚く御礼申し上げます。
 本日この式典を多くの町民の皆様とともに、挙行できます事は、誠に意義深く喜びに堪えない次第であります。
 さて、我が桑折町は、町村合併促進法に基づき、昭和三十年一月一日を期し、旧桑折町、睦合村、伊達崎村、半田村が大同団結をし、戸数二、九三八戸、人口一六、九七六人の新「桑折町」として発足を遂げたのであります。以来、ここに六十周年を迎えるに至りました。
 この機にあたり、改めて本町の歴史を紐といてみれば、県内最古の石器が出土した平林遺跡にはじまり、古くから東山道、奥州街道の宿場町として栄え、鎌倉時代には、伊達氏の拠城・西山城が築かれました。江戸時代にあっては、西根堰の開削により、農業が、飛躍的に発展するとともに、養蚕と製糸それに、蚕種の一大産地として名を馳せました。
 さらには、半田銀山の金銀産出により、幕府直轄領として代官所が置かれ、文人墨客が往来し、桑折宿を中心に町民文化と文学の花が開きました。
 明治期は、郡制の中心として伊達郡役所が設置され、現在、国の重要文化財として、我が町のシンボルにもなっております。
この様に本町には、先人が遺してくれた有形・無形の歴史文化遺産が、連綿と保存継承されてきました。
 顧みれば、我が町の先人・先輩諸兄は、戦後の激動と混迷を乗り越え、伝統ある歴史と文化、恵まれた自然環境を守り、さらに活力ある自治体を目指し、そして後世に引き継ぐために、町民の心と力を結集して、町づくりを進めて参りました。
しかしながら、平成二十三年三月十一日に発生した、巨大地震とその後の原子力発電所の事故は、家屋や道路の損壊など、甚大な被害をもたらすとともに、加えて、放射性物質による町土の汚染という、町政史上まさに、国難というべき事態に本町を陥れました。
 本町は、発生直後直ちに、この未曽有の大災害を克服すべく、あらたな総合計画『復興こおり創造プラン』を策定し、「町土の除染なくして復興なし」、「町民の健康なくして復興なし」、「町民の安心なくして復興なし」の三大スローガンをかかげ、国、県の強い御支援と連携のもと、全職員の英知を結集し、計画の着実な推進を図りながら、生涯にわたって住み続けたいと思える夢と活力のある「ふるさと桑折」の実現に向け、一歩一歩、確実に復興・再生の歩みを進めて参りました。
 発災から、三年十か月が過ぎた今、復興の槌音が皆様に届き、実感できる所となったことは、町民の皆様の御理解と御協力の賜物と、御礼申し上げます。
私たちは今、かつて先人が経験したものとは異なった厳しい試練に直面しておりますが、「あとから来る者のために、あとから続いて来るあの可愛い者たちのために」この試練を乗り越えて、明日の桑折町の進むべき道を、切り拓いていくことこそ、現代に生きる私達の責務であるとの思いを強くし、日々前進して参ります。
 結びに、今日まで町勢進展のために、御尽瘁いいただきました先輩各位、町民の皆様に深い敬意と感謝を表するとともに、初代町長・早田伝之助翁の遺訓「融合一体」に思いを馳せ、一万二千五百人の町民が、心ひとつに、やすらぎと、希望に満ちた「こおり新時代」を力強く、築きあげるため、一層の御支援と御協力を賜りますようお願い申し上げ、式辞といたします。

 平成二十七年一月三十一日
    桑折町長 高 橋 宣 博