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町の歴史

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年12月21日更新

桑折町は、仙台藩伊達氏発祥の地として知られており、古くは、平林遺跡の出土品により先史時代(およそ2万5千年前)の旧石器時代から人類が居住していたことが明らかになっています。

文治5年(1189年)  

源頼朝の奥州攻めに従った常陸国常陸入道念西が、その戦功により伊達郡の地頭となって入部し、伊達氏(伊達朝宗)を名乗り、その後、勢力を拡大、これが戦国大名伊達氏の興りです。伊達政宗はこれより17代目にあたります。

天文元年(1532年)  

桑折西山城跡は、伊達政宗の曽祖父14代稙宗が天文元年(1532年)頃築き、祖父15代晴宗が、室町幕府12代将軍足利義晴の命で破却し、米沢城へ移るまで、伊達氏の居城でした。

戦国時代末期 

豊臣秀吉による奥州仕置後、桑折の地を含む伊達郡は、蒲生氏郷を経て、慶長3年(1598年)、上杉氏の支配するところとなりました。

江戸時代前期 

引き続き、関ヶ原の合戦後に米沢に移された上杉氏の支配下に置かれ、この時期に西根堰の開削や半田銀山の開発、街道の整備がすすめられました。寛文4年(1664年)、幕府の直轄領(天領)となり、その後、本多忠国の支配などを経て、再度幕府領となりました。

貞享3年(1687年)

桑折陣屋(桑折代官所)が設置され、その後の元禄13年(1700年)、桑折二万石松平忠尚の支配となり、延享4年(1747年)再度天領となりました。この頃から、天領、藩領と村ごとに支配者が違う状況となり、その後、明治維新に至ります。

明治16年(1833年) 

伊達郡役所が保原より移設され、半田銀山が五代友厚の経営の元隆盛し、江戸時代以来の養蚕業が栄えるなど、桑折の地は伊達郡の政治・経済の中心地でした。郡役所が大正15年に廃止されたのちも、昭和44年(1969年)まで、福島県の伊達事務所などが置かれていました。 全国的な養蚕業の衰退とともに、阿武隈川流域などに広がっていた桑畑は果樹畑に変わり、現在では一大果樹地帯をなしています。