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むかしむかし、弘法大師は、伊達(のこの辺(
り一帯(も行脚(したと伝(えられ、あちこちにその足跡(を記(したと語(られている。
行脚(は修行(であるから、説法(をしたり、人々(の日常(を知
(るということもあったであろう。
睦合(の坂町(あたりに来(た弘法大師(の姿(は、長旅(のせいでか、衣服(は破(れ、みすぼらしい姿(をしていた。
喉(の渇(きを覚(えた大師(は、小(さな清水(の湧(く沢(があり、そこで米(をといでいる人(がいたので、下(りて行(って「どうか、水(をひとわん飲(ませて下(さるよう」と合掌(しながら声(をかけた。
米(をといでいたのは近所(の女(らしくて、「なあんだ。誰(かと思(ったら乞食(でねえの」と言(って、清水(の傍(に置(いてあったぶっかけお椀(で米(をといでいた辺(りの水(を汲(んでやった。大師(は飲(んだふりをして礼(を言(い、お椀(を返(して立(ち去(った。
ほどなく平沢(にさしかかった頃(は、 先刻(よりも喉(が渇(いたので、道端(の農家(に立(ち寄(り一杯(の水(を所望(すると、「いい水(がちょうどなくなったので、今汲(んで来(て差(し上(げっから」と言(って下(の方(の泉(へ行(って、澄(んだ水(を汲(んできて差(し出(した。「かたじけなかった。そのうちこの辺(りにも、きれいな泉(が湧(くであろて」とつぶやきながら、平沢(を後(にして、どこへともなく立(ち去(っていった。
それから坂町(の清水(は、いつも米(のとぎ水(のようなにごり水(が湧(き、平沢(の所(に湧(き出(した清水(は、いつも鏡(のように澄(んで、こんこんと湧(き続(けたという。
(半田むかし・むかし6)


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