第3回「子は清水」

更新日:2018年03月16日

桑折ことばむかしばなしを検証 第3回「子は清水」

「桑折ことばむかしばなし」8ページ(平成3年発行すでに絶版)  

昔、むかし、半田さ、樵(きこり)の親子住んでだんだげんと、父親と息子はまるっきり性格反対で親は真面目で正直者なのに、息子は大(おお)たれ(なまけ)か者で、遊んでばっかりいで、親の稼ぎ、みな減らしっちまうんで、いっつも貧乏だったどい。

父親は、天気さえいいど、毎日山さ行って薪採って来て、あどは、町に持ってって売って、暮らし立でったんだどいさ。

ある日の帰りしなに、喉渇いだんで、いっつもの清水さ行って水飲んだっけ、それは酒の味したんだったどい。

「気のせいだべが」なんて思って、何べんも飲んだげんとも、やっぱり酒の味したんだったどい。

そのうちいい気分になって山がら戻ったんだけんとも、それがら、帰りしなに飲んだどぎだげは、酒の味する清水になったんで、いっつも、いい機嫌で山から戻って来んだったどい。

それにがづいだ(感付いた)息子は、ある日コソッと追っかけで昼寝何として待ってだどい。

やがてのこと、薪背負って、山下りはじめた父親、小さこい清水さ来たっけ、手ですぐって水飲んだらば、一杯機嫌の顔になったんで、息子は「ハハァ、ここさ酒仕込んで置いで帰りしなに飲むんだな。」と悟って、そのあとで、息子も、コソッと飲んでみだっけただの水だったんで「不思議だ、不思議だ。」って言いながら、家さ着いでみっと、もう父親は、薪片づげで、夕飯の支度なんどしったんだどい。

その晩に、息子の夢枕さ水神様立って、「あの清水は正直で働き者が飲むと諸白になるのだ。」だって告げて消えっちまったんだどい。

それがら息子は、今までの我まま反省して少しづつ稼ぎ始まったげんとも、親はその訳は何も聞かねえで一緒に稼いだんで、だんだん、暮らし楽になったんだどい。

「親ハ諸白子ハ清水」っていわっちいるこの清水は、半田山右肩越えで少し下がったどこにあんのない。

我々取材班は諸白の清水を求めて半田山山中に分け入りました。詳しくは桑折町のホームページで。

残暑が厳しい9月中旬、諸白の日本酒に目がない我々ちょろんけ隊は、諸白の湧水を求め、「子は清水」の調査を開始しました。町内の地名で子は清水がないか探したところ、ありました。大字南半田字子ハ清水という地名が!この区域は、国土調査を行っているので、詳細な地図を入手し、現地に入りました。今回の取材には桑折町の観光親善大使「ホタピー」のサポートを行っている「桃男」が同行しました。彼の素性については、桑折町のホームページ「ホタピーの桑折観光日記」を参照してください。

観光親善大使代理 通称「桃男」の写真

取材中、一度もカブリ物とサングラスをはずすことがなかった

観光親善大使代理 通称「桃男」

字子ハ清水に行くには、林道産ヶ沢線と萱尻牧場・半田山登山道入り口の交差点の先から入りますが、雑草が生え放題で道路が見えません。林道産ヶ沢線が開通する前は、萱尻牧場に牛を放牧するために通ったそうですが、今はその痕跡さえもありません。

産ヶ沢線の道の写真

産ヶ沢線から入ります

産ヶ沢線の道で雑草がたくさん生えている写真

一歩入ると鬱蒼とした雑草で何も見えません

今回も最初から道を間違えたらしく本来なら見えるはずのない半田沼と黄金色に輝く谷地の田んぼが見えました。(生涯学習だよりに掲載した写真は道に迷った時に撮影したものです。)

眼下に広がる黄金色に染まる谷地地区の写真

最初から道に迷ってしまい…眼下に広がる黄金色に染まる谷地地区

道に迷った我々は、林道産ヶ沢線まで引き返し、道らしい痕跡を探しました。探すこと10分。黄色いプラスティックの杭を発見。杭の2メートル先にも黄色い杭を発見。これは国土調査で道路の境界に打った杭だと確認。目を凝らすと道路の部分だけ木が生えておらず、恐らくこれが道路だと推測し、先に進むことにしました。

道型の写真

道型を発見!

雑草をかき分け進むと、雑草は倒れており、我々より先にこの道を歩いた者がいるようです。ちょろんけ隊以外にも諸白の湧水を探す者がいるんだなと思い、先を越されてはならぬと足取りを速めました。しばらく進むと朽ち果てた杉の木が我々の行く手を遮りました。倒れてから年月が経っているらしく中は蟻の巣になっていましたが、鋭い爪のようなものでえぐった跡がありす。どうやら我々の先を歩いているのは人ではなく、ディズニーキャラクターにもなっている森の人気者が餌を探しに歩いているようです。遭遇した場合は、桑折町の観光親善大使代理の「桃男」に交流をお願いしようと思いましたが、残念ながら、遭うことはありませんでした。

枯れ木の蟻の巣を鋭い爪でえぐった痕の写真
枯れ木の蟻の巣を鋭い爪でえぐった痕の写真

枯れ木の蟻の巣を鋭い爪でえぐった痕が…

大型哺乳類の足跡らしき写真

大型哺乳類の足跡か?

さらに進むと杉林の中に石碑を発見!「水神」と刻まれており、そこからは水がコンコンと湧き出ていました。これが諸白の水「子は清水か」!!高まる興奮を抑え、すくって飲んでみました。

水神と彫られた石碑の写真

水神と彫られた石碑

石碑の下から水が湧き出ている写真

石碑の下から諸白が?

「…」水でした…他の隊員や桃男も飲みましたがのどごしのやわらかいおいしい水でした。南半田字子ハ清水一帯から水が湧き出ており、この辺りだけ平らになっていました。明治時代ここでは、冬の寒さを利用して氷が作られていたそうです。「目で見る桑折町の歴史」121ページに当時の様子が掲載されております。現在は、ススキが生えて昔の面影はありませんでした。

ススキが生い茂るかつての天然製氷場の跡の写真

かつての天然製氷場の跡

後で地図を確認したところ、この湧き水は、半田醸芳小学校の脇を流れ、谷地の田んぼを潤し、北沢で西根下堰と合流し、阿武隈川に注ぐ一級河川佐久間川の源流だとわかりました。むかしばなしを読み直すと子は清水は「半田山の右肩越えで少し下がったどこ」となっています。我々の見つけた南半田字子ハ清水は半田山の左型に位置しており、昔話の場所とは違う所でした。半田山の右肩の下った所は、100年前の崩落の際、道路だけでなく、湧き水も押し流されて無くなっているのではないか?と失意の中、半田山の地の利に詳しい方から取材を進めていったところ、ついに、子は清水を知っている方と話をすることができました。続きは次の機会に。

取材を終えて残念ながら南半田の子は清水は、諸白の酒ではなく、水でした。しかし、谷地地区の水田の農業用水と使われる佐久間川の源流として、我々の生活に欠かせない水だということが今回の取材でわかりました。

帰宅してから、子ハ清水の湧水が水だったのは、我々隊員が正直者でもなく、働き者でもなかったのかと反省しつつ、自宅で量販店で購入した諸白を楽しみ、次回の取材に向け鋭気をやしないました。

次回に続く。

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