第5回「天狗の相撲取場」

更新日:2018年03月16日

桑折ことばむかしばなしを検証 第5回「天狗の相撲取場」

「桑折ことばむかしばなし」236ページ(平成3年発行すでに絶版)

今がら二百年ほど昔、松原に五郎次っつう若者が、おっ母(か)と二人で暮らしったど。

毎日毎日、山奥さ行っては薪採って桑折だの湯野だのさ行って、それ売って暮らしったど。孝行息子でまた力持ちでもあったんで、近所の評判も良がったんだない。

ある秋の終り頃にいっつもの通り背中いっぱい薪を背負って、山道歩って来たっけ、急に薪重ぐなったげんと辛抱して成田峠まで来て、そこで一休みすっぺど思って立ち止まったっけ、顔の赤い、鼻の高い男立っていだんだと。

「なあんだ、重いど思ったら天狗様でねえが」って言ったっけ天狗は五郎次のごど睨みつけで「おれは御在所山の天狗だ。お前は毎日山に来る五郎次だな。おれと相撲取んねが。もしおれに負げだら、明日から山さ来んな。」って言うんだった。

「これは困ったな」ど思ったげんとも、負げっちまっては暮らし成り立たねえんで、思案したっけ、

「もし、お前が勝っただな、どうだ、明日がらおれが倍の薪採って来てこごさ置くぞ」って続けて言ったんで、内心困ったど思いながら、気合を入れて草木の少ないどごで相撲をはじめだんだど。

天狗も五郎次もありったけの力だしてがんばり、なかなか勝負つかねがったげんとも、草の根っこさ天狗がつまづいたときやっつげだんだどい。

天狗は「参った、参った。約束のとおり、明日がら薪こごまで運んで置くぞ」って言って、団扇(うちわ)でサアーッ、サアーッと扇ぐと空飛んでいったんだどい。

五郎次は、その日はなんだか夢見でいるような気持ちして家さ戻って行ったどい。

明くる朝、薪採りさ山さ行って、昨日相撲取ったどごさ行ったっけ、いつもの倍の薪が約束のとおり置いであったんだって。

それがらっつうもの、毎日そごさは薪置いてあったんで、五郎次はそれ売ってだんだん暮らしも楽になったんだって。

その場所は今でも「天狗の相撲取場」って言ってんのない。

我々取材班は、桑折に伝わる天狗伝説の信ぴょう性を確認するため現地に向かいました。詳しくは町HPへ 。

12月とは思えない暖かい陽気の中、我々チョロンケ隊は天狗伝説を検証するため、五郎次が暮らしたといわれる松原へとむかいました。まず五郎次が薪を採るため歩ったと思われる松原地区の馬道を探索開始。

松原地区の馬道の写真

県道桑折飯坂線から松原地区の馬道から入ります。

軽自動車が通れるくらいの森の中の道の写真

軽自動車が通れるくらいの道。

この馬道は馬や荷車が通れるほどの幅があり、以前は里山深くにも畑があり、往来もありましたが、現在は通る人もほとんどいません。

取材の3日前(新幹線新青森駅が開業した日)の暴風で道路のいたるところで倒木があり、我々の行く手を遮りました。

枯れた倒木の写真

枯れた倒木が行く手を遮る。

枯れた倒木の写真

しばらく行くとまた倒木が…

あいにくのこぎりが手もとに無く、ナタで切断しながら倒木を移動する作業で、開始早々どうなることかと一抹の不安を感じましたが、しばらくすると倒木はなくなり、スムーズに進むことができました。

松原林道の写真

県道から2キロメートルほど行くと幅員が4メートルほどの松原林道に合流。

松原林道に合流すると道幅も広くなり道路も整備されています。

松原林道から望む信夫山と信達平野の写真

松原林道から望む信夫山と信達平野 五郎次もここから眺めたのだろうか。

成田峠の差し掛かる手前に天狗の相撲取場がありました。

てんぐのすもうとりばの標柱の写真

てんぐのすもうとりばの標柱。

天狗の相撲取場の写真

ここが天狗の相撲取場。

地元の人が建てたと思われる「てんぐのすもうとりば」の標柱があったのでこの場所が天狗の相撲取場とわかりましたが、なければ見過ごすほどの場所でした。

30年前、私が小学生の頃に来た時は、草木が生えておらず相撲の土俵のようでした。土が赤茶色で鉄分が強く植物が育ちにくい土壌かもしれません。この30年で、周りに杉や檜が植林され、風当たりがなくなったため、草木が生えるようになり見わけがつかなくなったようです。また見晴らしの良い成田峠付近では、戦前まで雨の少ない年は雨乞いが行われていたそうです。

この地で五郎次は御在所山の天狗と相撲の取り組みを行ったのかと思いを馳せ、次は御在所山へ

現在の成田峠の写真

現在の成田峠。

通行止めのバリケードの写真

通行止めのバリケードが…

成田峠から御在所山へ向かおうしたところ、無情にも通行止めのバリケードが我々の前を塞いでいました。9月23日の大雨で成田林道が崩れて通行止めに…

御在所山の天狗ならひとっ飛びなのに…いったん松原地区まで引き返し、福島市飯坂町湯野地区から御在所山を目指しました。

源風森林道の写真
御在所山の写真

飯坂町の愛宕山から大舟へ向かう通称飯坂スカイラインを通り源風森林道へ。

右手に桑折町の藤倉ダム、半田山左手に御在所を見ながら進む

右の写真は御在所山

成田峠から御在所山へ向かう源風林道までは2キロですが、通行止めのためやむなく松原地区まで下りて、そこから福島市飯坂町の愛宕山の下から通称飯坂スカイラインを通り源風森林道を目指しました 飯坂スカイラインは吾妻スカイラインを彷彿させるような曲がりくねった道路で果樹畑を抜け信達平野を一望できる舗装道路です。

源風森林道の写真

源風森林道を途中左へ曲ると御在所山へ。

御在所山入口の写真

御在所山入口以前は鳥居があった。

源風森林道から3キロほど進むと丁字路の交差点があり、左折し1キロくらいで御在所山への登山道があります。10年ほど前には鳥居があり、わかりやすかったのですが、朽ち果てたのか今は何もないため、わかりずらくなっています。

登山道の写真

入口より整備された登山道。

頂上付近の写真

頂上付近は傾斜がきつい。

登山道入口から20分で山頂にたどり着き、気軽に登れる山です。雑木が生い茂り、見晴らしはよくありませんが、茂庭ダムや半田山、信達平野が見ることができました。

山頂には三等三角点が設置してあり、山頂付近だけでも木を伐採すれば、信達平野のみならず、蔵王山系も一望できる場所になると思います。残念。

三角点から100メートル奥に祠が奉られていました。御在所山の天狗が奉られているのかと木製の看板を確認すると 山の神様で御在所出世大権現が奉られているそうです。

出世=天狗になる 御在所山は天狗に縁のある山だと確認できました。勤続20年未だ平社員の私も大権現に出世の願をかけ、下山しました。

三等三角点の写真

20分で頂上へ 三等三角点が我々を迎えてくれた。

祠が奉られている写真

三角点から100メートル奥に行くと祠が奉られている。

後の取材で御在所山は茂庭地区の信仰の山として、毎年元旦にはご来光と参拝が行われ、地元で大切に守られてきたそうです。

御在所出世大権現にある看板の写真

御在所出世大権現にある看板。

板橋林道の写真

帰りは茂庭地区に至る板橋林道を通る。

国道399号線の写真

国道399号線に出る(茂庭地区板橋)。

取材を終えて。

出世大権現が天狗に変身し、地道に頑張る五郎次を応援したのが真相だったのでしょうか。

成田峠の天狗の相撲取場・御在所山も信仰の地として昔から大切に守られてきた場所だと確認できました。

平社員の私も地道に頑張り、頑張ればいつかは報われると信じ、今後もむかしばなし検証の編集を続けたいと思います。

来月に続く。来月1月号は「一本石」

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