第7回「弘法水(中北)」

更新日:2024年02月27日

むかし、昔のある夏の日盛りんどきだったどい。坊様のような姿した人、物持ちの家の婆様んどごさ立ち寄って、「水一杯もらいたい」って願ったんだどい。

婆様は心の中で『こんな乞食みでな坊様さ、水なんて飲ませでらんに』と思って、

「ここさはいい水は出ねえ、山ひとっつ越えっと中北つう部落があって、いい水出っから、そごでもらわっせ」ってぶぐってやったんだどい。

坊様は、素直に山越えで行って「水を一杯恵んでもらいたい」って頼んだんだどい。すっと、その婆様はやさしいこい声で「下の方でのんで来ればもっと冷てえ水あったのに、ほんじゃ今から汲んで来っからない」って言って、坂下って行って手桶さだっぷり、水汲んで来て、坊様に、たんと飲んでもらったんだどい。坊様、とっても喜んで

「ああうまかった。それにしてもいちいち水汲みにいくのでは大変だがら、ここへ水出してつかわそう」なんて語ったっけ、持ってだ杖、庭のすまこの方さぶっつあさして、二、三べんお経となえたら水がそごいらから、だんだん湧いて来たんだどい。

婆様びっくりしている間に坊様はコムズラ言いながら細道辿って遠くさ行っちまったんだどい。

このごとあっちこっちさ広まってみんな見さ来たり、あたりさ知れわたったんだどい。

「その水出した坊様は弘法様だぞ」なんて近くのお寺の坊様語ってらったんで、それからは「中北の弘法清水って言うんだ」ってなっちまったんだどい。

我々取材班は、中北・平沢・田町の各地区に伝わる弘法水を探しに現地に向かいました。

2月の中旬、寒さがだいぶ和らいだ日に取材を行いました。

弘法大師に関する伝説は、日本各地に5,000以上あるといわれ、特に弘法水に関する伝説は日本各地に残っています。弘法大師が杖をつくと泉が湧き井戸や池となった、といった弘法水の伝承をもつ場所は日本全国で千数百件にのぼるといわれています。その中から桑折町に伝わる弘法水3か所を紹介します。

まずは平沢地区に伝わる弘法水から

平沢の弘法水の写真

平沢の弘法水。

平沢の弘法水の写真

当たりが柔らかい水。

明治天皇がお休みになられたという由緒ある場所で今でもコンコンと湧き出していました。

湧水を手にとるとかじかむことはなく、2月だというのに湧き出る水は水道水と比べると温かく12,3度はあると思われました。

次に向かったのは生涯学習だよりにも掲載されている中北の弘法水。

中北の弘法水の写真

弘法大師もここから半田山を望んだのか。

水が湧く場所は中北町内会ではなく、林道輪王寺線沿線の南半田字日ノ入にあります。

この場所が中北の弘法水という確証はありませんが、弘法大師の前にあるのでここではないかと思われます。

雪が積もった桜の木の下から中北の弘法水が湧き出ている様子の写真

桜の木の下から湧く弘法水。

コンコンと湧き出る感じではありませんが、ジワジワと湧くようでした。

私有地なので残念ながら中に入ることはできませんでした。

地元の皆さんが建立した石碑の写真

地元の皆さんが建立した石碑。

弘法大師のお堂の写真

弘法大師のお堂の隣にある石碑は、昭和47年に地元の方が建立したようです。碑文には、伊達氏が西山城の居城を構えていた頃にこの場所輪王寺があり、仙台に居城を移した後、この場所に弘法大師を建立したと伝えられています。

毎年4月にこの場所でお祭りがおこなわれています。

次は田町の弘法水。

南半田田町の半田醸芳小学校の前を通る旧羽州街道沿いのお菓子屋さん「笹屋」の前にありました…

笹屋の外観写真

旧羽州街道 半田醸芳小学校の前に弘法水があった。

現在は残念ながらありません。昭和40年代に道路を舗装する際に埋められてしまいました。

「笹屋」のご主人佐藤武さんにお話を聞くことができました。

「笹屋」のご主人佐藤武さんの写真

笹屋のご主人の佐藤さんの足元あたりに弘法水があったらしい。

御主人によると、舗装される前は半田小の子どもたちがここで水を飲んでから家へ帰ったそうです。地元では田町の弘法水より「笹屋の弘法水」という名前で親しまれていたそうです。

上水道が整備される前は、井戸水を使っていましたが、この周辺の井戸水は金っけ(鉄分)が強くおいしい水とはいえなかったが、この田町の弘法水だけ水がうまく、近所の人が汲みにきていたそうです。

笹屋の裏の細い水路を湧水が流れている様子の写真

笹屋さんの裏からわずかながら湧き出ている水がかつての田町の弘法水の名残り。

田町の弘法水はいただくことはできませんでしたが、笹屋の名物「四方焼き」をいただきました。弘法水の井戸枠をモチーフもの?ほどよい甘さの粒あんで美味!御主人ご馳走様でした。

笹屋の名物「四方焼き」の写真

四角の井戸田町の弘法水をモチーフとした「四方焼き」。

取材を終えて

真言宗の開祖の空海が、醍醐天皇から「弘法大師」の諡号が贈られました。全国各地を行脚したことから、弘法大師の伝説が全国各地に伝わったようです。

醍醐天皇の詳細につきましては、下記のリンクからご覧ください。

諡号の詳細につきましては、下記のリンクからご覧ください。

桑折町にも3つの弘法水がありました。いづれも

  1. 生活に密着している
  2. まわりある水よりおいしい

ことから弘法水として親しまれたのではないかと思います。

今回は弘法大師が発見した水を取材しましたが、プライベートで県内各地にある弘法大師が発見したといわれる温泉を訪問してみたいと思います。

次回は「半田沼の主」を紹介します。

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