桑折町の桃の歴史

更新日:2018年07月19日

モモが栽培された経緯

 福島県で桃は古くから栽培されていたという記録が残っていますが、それは日本在来種の小果で果肉が硬く、現在広く知られている桃とは異なっていました。

 現在のような桃の栽培は、明治24年(1891年)頃、桑折町や伊達市で、欧米及び中国から導入された品種を栽培したのが始まりといわれています。1

大正時代の桃の出荷の様子

大正時代の桃の出荷の様子

 大正期以降、桑折町では盛んであった養蚕業の不振を受けて桑から果樹への転換が一層進みました。

 昭和30年(1955年)頃になると、桑畑からの本格的な転換や、山間部への新植が進められました。

 伊達崎の桑畑は、この頃、果樹畑への転換がほぼ完了したのです。その中でも、桃への改植がもっとも進みましたが、これは自然堤防や河跡の砂地で水はけのよい土壌が桃に適していることによります。

 桑折町で生産される果樹は、当初、リンゴが多かったのですが、昭和40年(1965年)代の半ばごろから昭和50年(1975年)代前半にかけて桃が逆転しました。

 これは、伊達崎地区の桃栽培農家によると「リンゴは収穫時期が遅く、台風被害の影響を受けるリスクがあったため」「青森県産や岩手県産に比べると、食味では負けていないものの、気候の影響により色づきや実の大きさなど、見栄えが不利になるため」などが要因だと言われているそうです。

 なお、リンゴは粘土質の土壌が適しており、桑折町においては、山手の地域、特に西根堰より標高の高い地域での栽培が多くなっています。

 桃は当初、「天津」「上海」等の品種が作られていましたが、大正になると、「福光」「水蜜」「大久保」が導入されました。

桑折町が世界に誇る誇るあかつき

もともと、缶詰用の栽培が多かったが、保存技術や流通技術が発達し、生食の生産が盛んになった現在は、「あかつき」「川中島白桃」が主力品種となっています。

 「あかつき」は、福島以外の産地でも、試作・栽培が進められましたが、小玉であったことなどで、他県では商品化されず、唯一福島県でのみ成功をおさめました。

 桑折町の桃は糖度が高くておいしく、低農薬農法で品質も高いと市場でも人気があります。

天皇皇后両陛下行幸記念碑

天皇皇后両陛下行幸記念碑

 伊達崎の桃畑では、平成8年(1996年)には皇太子殿下ご夫妻の行啓を、平成27年(2015年)には天皇皇后両陛下の行幸啓を仰いでいます。

1 東北農政局統計部『東北の農産物情報 Vol.5』(東北農政局 2014年)

桃への親しみ

諏訪神社例大祭のお供え物

諏訪神社祭礼のお供え物

 桃は収穫時期が盛夏であり、盆行事の時期に重なります。

 地域では、盆には桃を供えており、また、7月末に行われる諏訪神社の例祭に際して、神事にお供えする果物には必ず桃が用いられます。

 桃の花も昔から地域の人々にとっては非常に親しまれる存在であり、町のシンボルともなっている花です。

 その伝統はいまでも続いており、押し花や民謡などの愛好会の名称に桃への思いを込めている団体も多いです。

 また、桑折の諏訪神社や半田の八幡神社など、桑折町内の神社の祭礼には、山車が出るところが多くあるのですが、山車の屋根上に飾られる「ヤマ」と呼ばれる生木で作られた飾りは、桃の木の枝が使われています。

桃の花

 昭和60年(1985年)に制定された桑折町の花も桃です。

 桃の花は、桜のように花を愛でながら宴を開くようなことはあまりありませんが、畑の中を散歩しながら花を眺め思想にふけり、「桃源郷」を全身で感じ、夏には収穫とその味覚に思いをはせることができます。

桃源郷から望む半田山

堤防上から桃源郷を楽しむ

桃源郷

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