半田銀山

かつては佐渡金山、石見銀山とともに日本三大鉱山といわれた半田銀山。慶長3年(1598)ごろから米沢藩上杉景勝の代より本格採鉱が始まり、江戸・明治期にその隆盛を極めました。 この銀山は幕府直営の御直山として佐渡金山と同組織で経営され、役人も佐渡、石見、生野から交替で派遣され産出量も大きく伸び、幕府の財政を大きく支えました。
その後、明治、大正、昭和と操業を続けたが、昭和25年、半田銀山の歴史に終止符がうたれました。
そこで、この古い歴史を持つ半田銀山に入ってみました!!
坑道は普段一般には開放されていませんが、坑道の管理・監視を委託している半沢 家治さんに案内をしていただき、中を拝見。入口からまっすぐに伸びる坑道は、懐中電灯で照らさないと何も見えないくらい、真っ暗。この日、山の中ということもあり外は大変寒かったのですが、銀山の中はとても暖かく、話によると「夏は涼しく冬は暖かい」とのことでした。

半沢さんより、石英の説明

これが、石英と呼ばれるもの。つまりは、鉱脈のことです。

この先は危険なので、立入りできないように、なっていました。

坑道の所どころに横穴がたくさん。もちろん、先は真っ暗。
- この記事に関するお問い合わせ先
-
教育文化課 生涯学習係
〒969-1692
福島県伊達郡桑折町大字谷地字道下22番地7
電話:024-582-2403
ファクス:024-582-2470
メールフォームによる問い合わせ
更新日:2023年02月21日