オンライン展覧会【江戸の絵画】

更新日:2023年06月07日

現在、種徳美術館は、福島県沖地震で被害を受け、当面のあいだ休館となっておりますが、ありがたくも多数のお問合せを頂いていることもあり、オンライン展覧会という形で当館所蔵作品をいくつかご紹介していきます。この機会にぜひご覧ください。

江戸画壇を彩った三大流派

【狩野派】
日本絵画史上最大の画派。親・兄弟などの血族関係を主軸とした画家集団。室町時代中ごろから江戸時代末期のおよそ400年という長きにわたり活動。常に画壇の中心的存在の一派。時代時代の権力者と結びつき、繁栄を極めた。

【円山派】
円山応挙を祖とした、江戸後期の中心的存在。琳派などの日本伝統の装飾画にとどまらず、均整のとれた写生的表現や空間をうまく使った余剰的表現、また、西洋の透視遠近法など様々な技法を取り入れ、多様性に富んだ新たな画風を設立。

【四条派】
円山応挙門下の呉春こと松村月渓が開いた四条派は、円山派の写実的要素に南画風を加え、軽妙かつ洒脱な傾向が強い。明治時代の日本画復興運動にも大きな影響を与える。

◆展示作品リスト
作者名 作者説明 画題
はしもとがほう
橋本雅邦
天保6年(1835)川越藩御用絵師、橋本晴園養邦の子に生まれ、狩野勝川院雅信に学び、フェノロサ・岡倉天心に認められ、東京美術学校創立に際し、初の日本画教授となる。明治31年(1898)天心と共に日本美術院を創設。代表作に「白雲紅樹図」、「竜虎図屏風」。72歳で没する。 樹下牧童(JPEG:1.3MB)
かのうほうがい
狩野芳崖
文政11年(1828)山口県下関に生まれ、毛利藩お抱え絵師・狩野晴皐の子で木挽町狩野勝川院雅信に学んだ。橋本雅邦とは同日に入門し、生涯の盟友となっていく。代表作に「不動明王」や「悲母観音(重文)」などがある。叭々鳥とは、中国、東南アジアに生息する鳥で、めでたい事を表し、好んで描かれる画題である。 芙蓉叭々鳥(JPEG:1.2MB)
きくたいしゅう
菊田伊洲
寛政3年(1791)仙台に生まれる。幼い頃から画才を発揮し、仙台藩の菊田家をついだ。藩絵師の後継者となった伊洲は、江戸に出ると木挽町狩野派8代目当主の狩野伊川に入門する。文人画家との交友も積極的で谷文晁とも親しくと交わった。のちに江戸城再建に伴う障壁画の制作に参加、また高野山諸寺院の障壁画も手掛けた。東東洋、小池曲江、菅井梅関らとともに仙台四大画家のひとり。62歳で歿する。 蓮に鷺(JPEG:1.4MB)
かのういせんいんながのぶ
狩野伊川院栄信
江戸後期の画家。江戸生まれ。奥絵師四家のひとつである木挽町狩野家の8代目。狩野養川院惟信の子。享和2年に法眼、文化13年に法印となる。54歳で歿した。作品では「草花群虫図」、「平家物語図」などが有名。 竹鶏(JPEG:649.1KB)
たにぶんちょう
谷 文晁
この画は、本町の半田山の実景。図中の中ほどに見える家並みが半田銀山である。1817年(文化14年)文晁が54歳の時の作品。文晁は写生図をよく描き、1793年(寛政5年)30歳の時、白川藩主・松平定信公の伊豆相模海岸の巡視に随行し、湾岸の写生図「公余探勝図」を制作。これが近世風景画の傑作とされる。78歳で歿する、 半田銀山之図(JPEG:1.7MB)
こうすうこく
高 嵩谷
享保15年(1730)江戸に生まれる。英一蝶の門人、佐脇嵩之に学び、武者絵などは狩野探幽の画法を研究する。一蝶と同様にウィットに富む作品を制作する。代表作に「源三位頼政鵺(ぬえ)を射る図」などがある。
75歳で歿した。
鍾馗鬼(JPEG:1.2MB) ※鍾馗とは、中国の魔除けの神様のこと。日本では端午の節句に取り入れられ、幟や五月人形にもなっている。本作品では、右側の絵に鍾馗様、左側の絵に梅の木に隠れている鬼が描かれており、よく見ると、鍾馗様が睨みをきかせている川の中に、隠れている鬼の姿が映っている。
はなぶさいっちょう
英 一蝶
承応元年、大阪多賀伯庵の子に生まれる。名は信香、のちに一蝶と改めた。初め狩野安信に学び、後に岩佐又兵衛や菱川師宣らの風俗画を取り入れ、軽妙洒脱な画風を確立。また松尾芭蕉に師事し、俳諧にも長じた。英派の祖。 布袋唐子(JPEG:1.3MB)
あずまとうよう
東 東洋
江戸中~後期の画家。陸奥栗原郡(現宮城県)出身。京都で狩野梅笑に狩野派を学び養子となる。のちに円山応挙、池大雅、松村呉春等に師事。画家として最高の位「法眼」に叙せられた。晩年は帰郷して仙台藩の画家として仕えた。85歳で歿する。
 
春秋山水(JPEG:1.5MB)
かのうひさのぶ
狩野古信
元禄9年(1696)木挽町狩野周宜の子に生まれ、画は父に学び、徳川幕府の奥絵師となり、法印に叙せられた。8代将軍徳川吉宗の時代に活躍した。36歳で歿した。
 
寿老人左右鶴(JPEG:2MB)
かのうつねのぶ
狩野常信
寛永13年(1636)木挽町狩野尚信の子に生まれ、伯父探幽に学び、山水・人物・花鳥獣を得意とした。代表作に「桐鳳凰図」などがある。78歳で歿した。 山水(JPEG:1.4MB)
でん・かのうもとのぶ
伝・狩野元信
文明8年(1476)京都生まれ。狩野派の始祖・狩野正信の長男。幼い頃より画才を発揮し、画ははじめ父に学ぶ。のちに土佐派や周文雪舟を研究。土佐光信・雪舟と共に本朝三傑と称される。また晩年、越前守に任じられ、のちに法眼に叙せられた。代表作には「大仙院の襖絵」や「鞍馬寺縁起絵巻」などがある。84歳で歿する。 布袋唐子(JPEG:1.7MB)
かのうたんゆう
狩野探幽
慶長7年(1602)狩野孝信の長男に生まれ、16歳で徳川幕府の御用絵師に任ぜられ、鍛冶橋狩野派を興した。代表作に「二条城の襖絵」や「名古屋城の壁画」など、数多くの作品があり、画家最高の宮内卿法印に叙せられた。73歳で歿した。 探幽の号は大徳寺156世江月宗玩より与えられたもの。「幽微を探らずんば、すなわちその奥に至り難し」に拠る。
(幽微=奥深くかすかで知り難いこと)
弾琴図(JPEG:1.5MB)
狩野探幽 同上 波鶴図(JPEG:2.4MB)
狩野探幽 同上 墨画山水屏風(JPEG:2.4MB)
狩野探幽 同上 達磨五祖六祖(JPEG:1.8MB) ※達磨は中国の禅宗の開祖といわれ、禅の中心であり、中幅に描かれている。右幅の五祖とは「弘忍(こうにん)」、左幅の六祖とは「慧能(えのう)」のこと。それぞれ禅宗の五番目、六番目の祖である。
たざきそううん
田崎早雲
文化12年(1815)江戸神田小川町に足利藩の足軽の子として生まれ、画を学ぶため脱藩し諸国を歩き独学で勉強した。明治維新後足利で画塾を開き、画家を養成した。84歳で没する。 富士山(JPEG:427.4KB)
まるやまおうきょ
円山応挙
江戸後期、円山派の祖。享保18年(1733)丹波国桑田郡の農家に生まれる。幼名岩次郎。京都狩野派の石田幽汀に学び、中国の仇英や西洋の遠近法などを研究し、写実的で平明な作風を特徴とする円山派を創設する。動植物の写生を最も能くする。号は雪亭、夏雲、仙嶺などころころ変わったが、応挙と改めてからは落款は応挙で通した。63歳で歿する。 一笑図(JPEG:1004.1KB) ※本図は、竹の絵と犬の絵が描かれているが、この竹+犬という漢字を組み合わせると【笑】という漢字になることから、吉祥画題としてよく描かれる。
かわばたぎょくしょう
川端玉章
天保13年(1842)蒔絵師・川端佐兵衛の子として京都に生まれ、中島来章に円山派を学び、明治22年東京美術学校で「付立」 の指導をする。明治42年に川端画学校を創設する。 代表作に「墨堤春暁図」「桜花鶏図」などがある。72歳で没する。 嵐山・栂尾春秋彩色(JPEG:1.4MB)
きくちようさい
菊池容斎
幕末明治の日本画家。江戸下谷徳川幕府与力の家に生まれる。18歳の時に狩野派の高田円乗に学ぶ。さらに土佐派や和・漢・洋の画法や有職故実を研究。歴史画を得意とした。代表作に「五百羅漢図」や「地獄変相の図」などがある。 大堰川管絃図(JPEG:1.6MB) ※大堰川は京都嵐山の麓を流れる桂川のこと。
いまおけいねん
今尾景年
弘化2年(1845)京都に生まれ、鈴木百年に四条派を学ぶ。絵画共進会や美術縦覧会等に出品して好評を博し、明治39年、帝室技芸員を拝命し、文展の審査員を勤めた。80歳で没する。 遊鯉之図(JPEG:1.1MB)
ゆだぎょくすい
湯田玉水
福島県生まれの画家。明治12年(1879)会津田島町に生まれる。初め、川端玉章に師事し円山派を学ぶ。その後、玉章のもとを離れ、独自に南画を志した。51歳で歿する。 雪景山水(JPEG:1.6MB)
かきざきはきょう
蠣崎波響
明和元年(1764)奥州松前(現北海道松前)に生まれる。松前藩主・松前資広の五男として生まれ、家老蠣崎家の養子となる。10代の頃に宋紫石に学んだ後京都に上り円山応挙に師事。画風を南蘋派から円山四条派へと大きく変化させた。文化4年(1807)松前藩は福島県の梁川に転封。波響は家老として復領に努めるとともに、創作活動を充実させた。文政9年(1826)62歳で没する。代表作に「夷酋列像」「花鳥人物図」などがある。本作品は文政元年(1818)に描かれた。 案山子(JPEG:1.1MB)
くまさかてきざん
熊坂適山
寛政8年(1796)伊達郡保原町に生まれる。松前藩士・蠣崎波響に学び、南蘋派と円山派の折衷画をつくった。のちに浦上春琴に師事し南宗派を学ぶ。山水花鳥を得意とした。69歳で歿する。 秋景山水(JPEG:2.3MB)
まつむらけいぶん
松村景文
安永8年(1779)生まれ。兄・松村呉春より絵の指導を受け、また円山応挙の写生風を学び一家を成す。四条派の発展に大きく貢献した。妙法院の近侍となり、京都妙法院の襖絵などが有名。65歳で没した。 高士観梅花山帰樵(JPEG:1.4MB)

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福島県伊達郡桑折町字陣屋12

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